2014年6月11日水曜日

東寺―圧巻の立体曼荼羅に酔う


今回からは、6/2~6/7までの一週間で見に行ったお寺を、ひとつひとつまとめていきたいと思います。


最初に行ったのは、京都の東寺(教王護国寺)です。平安時代初期に、嵯峨天皇が空海=弘法大師に下賜したお寺として有名ですね。新幹線から見える五重塔を目にすると、「ああ京都来たなあ」としみじみ感じます。






いつも京都の八条口の近くに宿を取るので、行くたびに早起きして、散歩がてらにふらっと20分ほど歩いて訪れるお寺です。8時半から拝観可能なのも嬉しいですね。


「曼荼羅」ってなに?



何といっても有名なのは講堂の《立体曼荼羅》です。公式サイトの英語の説明も"3D Mandara"。カッコいい。3D映画みたい。
「曼荼羅」ということばはけっこうアバウトな定義でもちいられますが、今回は狭義の曼荼羅――密教において悟りの世界を抽象的に描いた一連の絵画についてお話ししましょう。
曼荼羅のなかでもとくに有名なのは、密教の最高仏である大日如来を中心に据え、悟りのかたちをさまざまな仏を用いて、象徴的に配置した「両界(両部)曼荼羅」です。両界というのは「ふたつの世界」のことで、『大日経』に説かれる「胎蔵界」と、『金剛頂経』に説かれる「金剛界」をさします。違う経典に描かれた違う悟りの世界を、ひとつの曼荼羅に統合してビジュアライズしてみせたのですから、これは本当にたいへんなことだと思うのです。

で、この両界曼荼羅を日本に初めて持ち込んだのが、ほかならぬ空海です。それゆえ空海のお寺である東寺には、いまなお多数の"2D版"両界曼荼羅が残っています。
残念ながら空海が直接持ち込んだ両界曼荼羅は現存しないのですが、「西院本」と呼ばれる両界曼荼羅は非常に有名で、日本最古の両界曼荼羅といわれます。





《西院本 両界曼荼羅》(双幅・平安時代・九世紀・絹本着色・国宝)


順番に見ていくと、世界の生成と変化、そして仏の智慧があまねくゆきわたる過程を、まるで蓮華の花が開いたり閉じたりするような描写で、表現していることがわかります。うねり、ねじれるエネルギーの変遷を、静的な画面で描ききるのが、曼荼羅の魅力です。


曼荼羅の世界に溺れる――空海のインスタレーション



さて、《立体曼荼羅》の話に戻りましょう。正式名称は《羯磨曼荼羅》といいます。羯磨(かつま)とはカルマ(業)を音訳した語ですが、「羯磨曼荼羅」は通常、曼荼羅を立体/彫刻で表現したものを指します。

立体曼荼羅は大まかにわけて四つのブロックに分かれます。

中央:五大如来
如来とは悟りを開いた存在全般をさすことばであり、「ブッダ」も本来「如来」と同義です。個人名ではないのです。
ここでは大日如来と、東西南北を支配する四体の如来像がおかれています。
通例、悟りの境地に達した如来は、簡素な衣しか身に着けません。ただし《大日如来坐像》(室町時代・15世紀・重要文化財)は例外。すべての如来の中の王である大日如来は、宝冠、瓔珞(首や胸の飾り)、天衣など、インドの王族をモチーフとした豪奢な衣装をまといます。あらゆる仏に変身し、あらゆる衆生をあまねく救済するという、なんだかスケールの大きすぎる仏さまです。大日如来は過去・現在・未来すべてを包摂した、すべての宇宙そのものを表しているのです。

両手は「智拳印(ちけんいん)」という印相(いんぞう)を結んでいます。仏の世界と衆生の世界が、堅固な智慧によってむすばれることをあらわします。

印相、というのは仏像が手で作るサインのことです。twitterでふた昔まえに流行った、軍隊式のハンドサインと似たような感じですね。もともとは文字が読めない層にも、「この仏さまが何を言っているのか」をわかりやすく説明できるように考案された、と考えられています。
「にっこにっこにー☆」がにこにーを表す、みたいな感じで、どの仏がどの印相を結ぶかはおおかた決まっています。いくつか覚えていると、だいたい名前が分かるようになってきます。

右ブロック:五大菩薩
菩薩は如来一歩手前の存在。まだ修行中の身であるため、迷える衆生を救うために実働部隊として働いてくれる、ありがたい存在です。
菩薩はきらびやかに荘厳(しょうごん=飾り付け)されていることが多く、ひときわはなやかで目を引きます。この五菩薩は一木造に漆で仕上げをされており、天平末期から平安初期にかけての、技法の移行期を示す好例となっています。

左ブロック:五大明王
明王は武闘派の実働部隊、とでもいうべきでしょうか。なかなか帰依しない衆生(私だ…)を力づくで調伏しようとする、仏法の守り神です。忿怒の表情が特徴的です。
中央で紅蓮の炎の光背を負う《不動明王像》(平安時代・国宝)は、不動明王としては最古の作例のひとつで、かつ優品としても知られています。右手には両刃の剣、左手には悪人をとらえる羂索(縄)を持っています。
この恐ろしい不動明王像も、優美な菩薩像も、すべては大日如来が衆生を救うために変化した姿。やっぱり、スケール大きい……。

右端/左端:天部
天は仏教に帰依した異教の神々のことをいいます。ここでは帝釈天と梵天のペア、そして持国・増長・広目・多聞の四天王像が、両端に配されています。
帝釈天はヒンドゥー教のインドラのことです。もともとは戦闘にすぐれた神で、阿修羅のライバルでもありました。白象に乗っているのは密教独自の造形です。
この東寺の《帝釈天半跏像》(平安時代・国宝)、なかなかの美男の像として非常に人気があります。斜め前から見るのがカッコいいんですよね。象もけっこう男前。

いっぽうの梵天はブラフマーのこと。宇宙の創造を司る神で、インドラと共に仏法の守護神となっています。こちらが乗っているのはハンサと呼ばれる聖なる鵞鳥のこと。鵞鳥三羽で神様を支えてるの、結構重そうでちょっとかわいそうです。
また、東寺の四天王像は、重々しい衣装と硬めのポージングによる、抑制された表現が特徴的です。持国天の怒りのポーズは一体だけ異色ですね。


日本一の高さの五重塔



さて、「京都来た感」をバッチリ思い起こさせてくれる東寺の五重塔ですが、54.8メートルという高さは、木造の塔では日本一。東大寺の大仏殿よりも高いです。
特別拝観のときのみ、初層部分に入ることができます。今回は残念ながら入れなかったのですが、去年行ったときにはお参りすることができました。

心柱のまわりには四体の如来像と八体の菩薩が配されていて、ここも密教空間が立体的に表現されています。ちなみに大日如来の像はないのですが、これは塔の心柱を大日如来に見立てていることによります。
また、四本の側柱には竜神の像が描かれていますが、これは火事避けのため。五重塔はしばしば落雷により焼失してしまうのです。

四方の壁には、真言八祖とよばれる高僧の像が描かれています。真言宗をインドから中国、そして日本へ伝える際に活躍した、八人の祖師のことです。その系譜の一番最後にいるのが、空海。禅宗の系譜などもそうですが、歴代の高僧のお名前ってむずかしくて、なかなか覚えきれません……。




それ以外にも金堂の薬師如来・日光月光菩薩像や、観智院の虚空蔵菩薩、行くたびにおりおりの花が楽しめるお庭など、見るところはまだまだたくさん。
東寺は伽藍自体はさほど大きくないのですが、見ているだけで相当にエネルギーを使います……密教芸術、恐ろしい。



帰り道、駐車場の車の周りを延々ぐるぐる追いかけっこしている雄鴨と雌鴨に出会いました。こーのバカップルめ!末永く爆発しろ!

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