2014年6月10日火曜日

特別展「チベットの仏教世界 もうひとつの大谷探検隊」@龍谷ミュージアム

一週間の仏像めぐりの旅の最後の最後に、「チベットの仏教世界 もうひとつの大谷探検隊」@龍谷ミュージアム/(チラシpdf)に行ってきました。本当にすばらしい展覧会だったので、会期が終わってからレビューを書くことになってしまったのが、とても残念です。






衝撃!超細密《釈尊絵伝》


龍谷ミュージアムのすぐ目の前にある、西本願寺。20世紀初頭、この地から遥かチベットへ送り出された、ふたりの学僧がいました。彼ら――青木文教と多田等観はともに非常に現地に溶け込んだ修行生活を送りました。そして、当時のチベットの貴重な記録や文献を、ダライ・ラマ13世の信任のもと、大量に持ち帰りました。
この展覧会では、チベット仏教美術の諸相を紹介するとともに、写真や史料を通じて、「彼らが見たチベット」の姿にも、焦点を当てています。

メインの展示は、なんといっても《釈尊絵伝》(全二十五幅・17世紀頃・綿本着色)。これは歴代のダライ・ラマに受け継がれていたものですが、ダライ・ラマ13世から多田に贈られました。
多田はインドでチベットに入る機会をうかがっていた最中、亡命中だったダライ・ラマ13世に出会い、彼から直々にラサへの招きを受けます。以降彼は、ダライ・ラマ13世からたびたび諮問を受けるほどの絶大な信頼を得ました。

《釈尊絵伝》は、釈迦が母の胎内に宿る瞬間から、修行の果てに悟りをひらき、涅槃にいたるまでの生涯を、空前絶後の細やかさで描いています。釈迦の全生涯を絵画に残すという試みが、これほどまでにあざやかに、そして壮大なスケールで残っている例は、他にほとんど類をみません。
25幅のタンカ(仏画)の上では、異時同図法を駆使して、釈迦が出会ったあらゆる人、出来事、苦しみ、喜び、そして悟りの境地が、泡のように順々にあらわれては消えていきます。きわめて説明的な絵画を追うことで、私たちは釈迦の生涯を追体験するかのような錯覚に陥ってゆきます。

釈迦の生涯や前世での行いを説明的に描く「仏伝図」は、仏教美術のなかでももっとも初期から存在するジャンルのひとつです。経典の読めない層に説法をおこなうために、非常に重要な役割を担いました。ガンダーラ/マトゥラーの時代から現代まで、仏伝図に描かれるテーマと構図は、経典によってかなり厳密に決まっています。

釈迦が白象となって摩耶夫人(まやぶにん)の胎内に宿る「托胎霊夢」、ボダイジュの下で悟りを開く「降魔成道」、初めて説法をする「初転法輪」……主題として人気があるのはいつの時代もだいたい同じで、たいていは劇的な場面です。《釈尊絵伝》ほど細かく、そして情熱的に釈迦の一生を描ききるという作品は、なかなか存在しません。

初期の仏教文化を保存していると同時に、ヒマラヤ山脈のふもとで独自の発展を遂げた、特異な美術製作のありかたは、日本という仏教文化圏の東の果てに身をおく私たちから見ると、未知なる驚きと発見にあふれています。
きわめて官能的で装飾的で、生と死の香りが濃厚に漂う仏像の数々――きわめて個人的な印象ですが、「情熱」や「陶酔」というキーワードが、チベット仏教美術を読み解く際の、ひとつの鍵になるのではと思います。

立ち上る炎のような―チベットの仏像


展示品のなかでも特に度胆を抜かれたのが、《十一面大悲観世音菩薩立像》(14世紀・中国・元時代)でした。「大悲」とは、菩薩がわれわれにかけてくださる「慈悲」のことです。長谷寺の、あの巨大な十一面観音菩薩立像が納められているお堂も、名称は「大悲院」ですね。

チベットは観音信仰がきわめて盛んな土地です。その国土と衆生は観音菩薩の「所化(しょげ)」、すなわち、観音菩薩が守り、導き、統治する世界だとされています。
代々チベットの政教のトップに立っているダライ・ラマも、観音菩薩がひとの姿に化身した存在だといわれます。

観音菩薩は衆生を救うために、実にさまざまな姿に変化します。十一面観音はそのひとつで、すべての方角にいる衆生をあまねく見守り、救済してくれることをあらわします。

日本の十一面観音は多くの場合(前の記事の画像がわかりやすいですが)、大きなノーマルなお顔の上に、頭をぐるりと取り囲むように十一面が配されます。その上には、観音の上司である阿弥陀如来のお顔(化仏)が載っています。

しかしチベット式の十一面観音は、下から三面・三面・三面・一面・一面と、まるで塔のようにお顔が積み上がっていきます。今回の旅行でおそらく十数体は十一面観音をみてきましたが、まったく違う様式に、ちょっと「怖い」と感じる部分もありました。慣れたら印象は違ってくるのでしょうが、かなりショッキングでした……。
また、日本の十一面観音は二臂(二本の腕)の場合が多いですが、この像は八臂です。そして天衣(首にかけて足まで流れるストール)は、炎のように上へねじれています。全体的に「上昇」というイメージが貫かれていて、とてもおもしろかったです。

あと、チベットの仏教(特に後期密教)美術のなかで独特な位置を占めるのが、女神の像です。日本でも吉祥天や弁財天など(多くの場合富と豊饒の)女神のモチーフはいくつかありますが、チベットではヴァジュラヨーギニー、ヴァジュラヴァラーヒーをはじめ、とにかくエロティックで、血なまぐさい女神の像が人気を博しました。

今回展示されていた女神・ヴァジュラヨーギニーの立像は、右手にカルタリという斧を持ち、髑髏を繋いだ首飾りをつけています。そして左手には、なんと頭蓋骨の杯をかかげており、なみなみと満たされた血を飲み干そうとしています。怖すぎ。
とはいえ、こういった類の女神は、ヒンドゥー教の殺戮の女神カーリーを髣髴とさせるところがあります。濃密なエロティシズムの発露というだけでなく、双方の文化的な「近さ」も感じますね。

「つながり」と「違い」―異文化ということ


あんまり関係ない私事なのですが、もともと私は中学校の頃から、お寺を巡るのが好きでした。しかし仏像に興味があるわけではなく、単にお寺のゆっくりとした時間の流れが好き、くらいのものでした。
初めて「仏像おもしろい!」と思ったのは、高校一年生のときの、忘れもしない――上野の森美術館で開催された「聖地チベット ポタラ宮と天空の至宝」でした。かなり議論が紛糾した展覧会でもありましたが、まだ仏像について右も左もわからないうちに、チベットの仏像をナマで見た衝撃たるや。父と一緒に見に行ったのですが、あまりにも妖艶な「ヤブユム(歓喜仏)」を前に卒倒しかけたのは、いまとなっては良い思い出です。

というわけで、実のところ私の仏像好きの原点は、他でもないチベットにあるのです。
そのあと、タイやラオスのお寺をいろいろ巡ったりしましたが、毎回海外の仏教寺院で感じるのは、「ああ、ここは遠い地だけれど、確実に日本とつながっているな」という思いです。チベットの仏像を見たときも、それは同じです。

今回の展示では、参考出品としてガンダーラの仏伝彫刻がいくつか出ていました。仏教美術の世界的な「原点」といえるでしょう。そこから出発して、中東、チベット、中国、東南アジア、朝鮮、日本――それぞれの文化のなかで作られた仏像を見ることで、私たちは時代・地域を越えて「変わらないもの/異なるもの」がそれぞれ確かにある、と感じられます。これこそ、仏教美術のきわめて意義深い点ではないでしょうか。

十一面観音菩薩の像は日本とチベットで全く異なる造形ですが、しかし十一面観音菩薩であることに変わりはありません。そして観音さまにお参りするひとの心の持ち方も、時代・地域を越えて「同じ」でかつ「つながっている」といえるものがあります。
その感覚は、もしかしたら……仏教の根本に横たわる「縁」に通じる、なにか、なのかもしれません。
決して信心深くはなく、知識もまったくない身ではありますが、仏さまと対話することで、そういった思いを馳せることができたのが、今回の展覧会でした。

奈良・京都の数百体の仏像を拝む旅の最後に、ガンダーラ仏とチベット仏という、二つの「自分の中の原点」に出会うことができたのは、まさに僥倖でした。本当に、行ってよかった展覧会でした。このような、人生を変える機会にまた出会えることを、楽しみにしながら生きていきたいです。

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