とにかく修学旅行生が多いシーズンということもあって、参道は人でいっぱいです。
この記事ではひとつにまとめていますが、実は今回の旅行では二日にわたって、東大寺にお参りしています。東大寺の伽藍には実にさまざまなお堂がありますが、今回は二日目の大仏殿からとりあげていきます。
ふれられる近さで……フラクタルと蓮華蔵世界
さて、こちらが今回お参りしたときの大仏殿です。
なんということでしょう。
匠の粋な計らいにより人がゼロです。
嘘です。朝六時にiPhoneのアラームに叩き起こされ、朝七時半にお参りしたので修学旅行生がいないだけです。それにしても、修学旅行生がいないだけで別のお寺のようです。大昔はきっとこうであったのだろうという、静けさと広大さをひたすら感じられます。
今回はお寺さんの特別な計らいにより、東大寺大仏殿の盧舎那仏(大仏)の《台座》を間近で拝ませていただくことができました。激レア。
単なる台座と侮るなかれ。東大寺の大仏は大部分が鎌倉時代-江戸時代の後補ですが、蓮の花を模したこの台座は奈良時代からの現存です。しかもこの台座の蓮弁(蓮の花びら)には一枚一枚、「華厳経」に説かれる「蓮華蔵世界」をビジュアライズした絵画が丁寧に描かれていて、実に美しいのです。
《東大寺大仏蓮弁線刻図》{拓本}(奈良時代・国宝)
一応東大寺ミュージアムや大仏殿の正面にレプリカが置かれてはいますが、上がらせていただいてナマで拝める機会は本当にめったにないです。
天平時代の仏画は多くが焼失しているため、とても貴重な作例です。光背などはコンパスを用いて描かれていますが、ほとんどはフリーハンド。
50cmくらいの近さまで寄ることができるといっても、一枚一枚が数メートルという大きさなうえに、かなりこまかい線彫がなされていますから、お参りする際は単眼鏡必須です。
当時の「仏像」の技術(漆や金属)ではなかなか表現が難しい、非常に複雑な曲線美です。(図像自体は唐から来たものでしょうが…)彫師には相当な技量があったことがうかがえます。この線刻よりさらに時代が遡る、法隆寺の金堂壁画と比べるのも面白いでしょう。
「華厳経」というお経のタイトルは、「さまざまな花によって荘厳(=飾る)されたお経」という意味です。仏が修行の末に悟った世界を、美しい蓮華の花によって表現しています。過去・現在・未来・あらゆる世界の如来の総体である盧舎那仏。盧舎那仏の坐する蓮華は千枚の花弁があり、その一枚一枚のなかにも、さらに無数の世界が蔵されています。その様相は、さながらフラクタルのようです。極小の世界が極大の世界と同一なのです。
そんな到底ビジュアライズしようもない観念を、苦心のすえにどうにかこうにかこの世に顕現させようとしたのが、この東大寺の大仏と蓮弁なのです。すごい話だ。
もう一度繰り返します。単なる台座と侮るなかれ。天平時代から受け継がれたこの14枚の蓮の花びらには、華厳の教理の真髄が詰まっている、と言い換えることもできるのです。
華厳経の世界を示した仏教美術、とりわけ仏画というのは、日本にも日本以外にもきわめて例が少ないです。ぜひ、一生に一度は。
なかば余談にはなりますが、大仏の真下から見上げる虚空蔵菩薩と如意輪観音、相当な迫力でした。当時はおそらく、一般人がこうした位置から像を見上げるなんてことは、まったく想定していなかったのでしょうから、どこまで作為のうえで鋳造したのかはわかりません。ですが、こうした巨像は真下から見上げるのがとかく効きます。長谷寺の十一面観音などは、とりわけそれを巧く用いていると思いますが、「見上げる」という行為はただただ純粋な畏怖の感情を起こさせると常々感じます。大きいのは、おそろしいことです。
南大門の金剛力士像―動く××と職人魂
さて、「見上げる」といえば。この東大寺には、あきらかに一般人が「見上げる」ことを想定した像も存在します。ご存知、南大門の《金剛力士像》(鎌倉時代・国宝・寄木造)です。運慶・快慶とその工房がたった二ヶ月で造り上げたという、まさに神業のような寄木造の傑作です。
といっても、今は一面に張られている金網のおかげで、ちょっと下から見上げづらいのが難点ですね。ちなみに網は鳩のフン避けらしいです。
しかし、この阿形・吽形の像はやはり下から見上げるのがおススメ。それには理由があります。
この時代の寄木造の仏像は、だいたい事前にミニチュアの模型を作ってから、それを拡大するような形で実物を造っていました。現代の建築士が事前に図面を引いて、模型を作ってみるのと同じですね。
この《金剛力士像》もそのように作られたらしいのですが、どうやら完成後にいくつかパーツを変更したようです。なにしろ前代未聞の巨像ですから、ミニチュアから拡大した時、「コレジャナイ感」があったらしいのです。
たとえば、下から見上げた時に目線が合うように、眼球の位置を調整しています。あとわかりやすい変更点としては、乳首の位置を外側にずらしています。乳首って。
より「胸を張った」姿勢になるように、とのことなのですが、乳首をずらすだけで本当に胸を張った見た目になるのか、誰かに検証してもらいたいところです。
金網のスキマから見上げると、こう、胸の真ん中あたりにもともと乳首があった場所がまるくふちどられているのが、今でもわかります。修学旅行中の小中学生を尻目に、金剛力士像の乳首をガン見する大学生の一団、割とヤバかった。
まだまだ東大寺には見るところがありますが、今日はひとまずここまで。次は鹿と一緒に山を登ります。